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生産者の取組み

成功する農業後継「失敗を経験に、さらなる強みへ」

高価な花卉栽培のなかで
菊やカーネーション栽培を経験

当時の菊は高価で、菊の花1本200円と、現在の価格の5倍くらいで売れていた時もあった。その頃は輸入された花がなく、価格競争が起きにくかったことが高価格の理由だったと推測される。

和雄さんの電照菊栽培は、当初5a(150坪)のハウスから始まり、事業収益で少しずつ農地を買って、そこにパイプハウスを建設し拡大してきた。その頃の農地の売買は、10a(1反)の単位ではなく坪単価であったため、農地はかなり高く、借金をしながら購入し、規模拡大を進めた。

また、和雄さんの代では生活の洋風化が進み、菊に変わってカーネーションの需要が拡大してきていた。市場の変化に対応し、和雄さんは菊栽培からカーネーション栽培に切り替え、幹大さんが17歳になるまでカーネーションを栽培していた。

経営は当初順調だったものの、産地間の競争による価格変動や連作障害で徐々に厳しくなり、今から20年前、カーネーション栽培から再び菊栽培へと切り替えた。菊は土耕栽培が標準であり、幹大さんが手伝う直前には、50~60a(5~6反)のパイプハウス全てで菊を栽培していた。その当時の事業規模は、年2千万円程度の売上であった。

石橋を叩いて事業を進める
父・和雄さんの堅実な経営策

幹大さんが実家の菊栽培を手伝い始めた頃は、他に祖父母、和雄さん、母、そしてパートスタッフ数名で作業をしていた。カーネーション栽培のときは、消費のピークにあわせて出荷を調整しなければならなかったが、菊は通年で販売でき出荷量が安定しているため、事業としては菊栽培のほうが容易なものであった。

幹大さん自身が就農した当時は、和雄さんが祖父母の親戚の借金を肩代わりして返済していたこともあり、まだ少しだけ借入金が残っていたようである。菊栽培の事業と借金の返済を並行して行ってきた経験から、和雄さんは今回の菊栽培は絶対に失敗できないとの想いが強く、慎重に石橋をたたいて事業を進めてきた。このような父の苦労のおかげで、順調に事業を進めてこられていると、後継の幹大さんは考えている。

花卉の市場環境の変化で
厳しい経営環境に

幹大さんが就農した20歳の頃は、栽培した菊の全量を熊本県花卉市場(卸業者)に出荷していた。競りで価格が決まり花屋に販売する形式である。

しかし時が経つにつれて花卉の流通形態も変化し、5年間で徐々に委託販売の形態が増加した。販売代理会社が、数量に応じて直接販売先の花屋を探し、夕方顧客に直送する形式だ。委託販売のほうが手数料が安いうえに、提示価格を自分で決めることができるため、農園全体の年間出荷量の約35%を委託販売が占めるようになった。

また1998年から2000年までの2年間で、花卉の輸入の増大と消費の減少等により、菊の販売価格が一気に10%以上低下した。まさに幹大さんが就農し始めたころである。

輸菊の価格推移

2000年以降2008年頃までは価格変動は一旦収まり安定していたものの、2008年からは10年間で徐々に価格が10%下がり、経営環境はさらに厳しくなった。和雄さんの代にはなかった「海外との競争」の波が押し寄せてきたのだ。

幹大さんの農園では、県外の市場販売の比率を上げることで、年間出荷量の約45%まで市場販売を増加させた。県外の市場では、自社で価格を決めて販売でき、菊の品質の高さを価格で評価してもらうことができる。品質向上への地道な努力が、ダイレクトに売上増につながっているのだ。

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