今さら聞けない「菌体りん酸肥料ってなに?」 国内の未利用資源を肥料として利用する原動力
2026.04.07
化成肥料や輸入原料に依存する日本の肥料事情。その打開策として注目されているのが下水汚泥由来の菌体りん酸肥料だ。品質を保証する公定規格の創設により、国内未利用資源を活かす新たな循環が動き出した。
1.日本では500年以上も前からし尿を肥料として利用していた
2.菌体りん酸肥料の公定規格ができた背景 国内の未利用資源を肥料に使いやすくする
3.菌体りん酸肥料とは 「汚泥資源を利用した肥料成分を保証可能な新たな公定規格」
4.菌体りん酸肥料の現在と未来
日本では500年以上も前から
し尿を肥料として利用していた
環境省「パンフレット:江戸時代のし尿循環システム」
日本では長らく、”し尿”の肥料活用を続けてきた。江戸時代には、都市部で発生した排泄物を近郊農村が回収(購入)して野菜を生産し、それを都市で消費する、という資源循環サイクルが成立していた。
環境庁(当時)のパンフレットによれば、「日本におけるし尿の農地還元は鎌倉時代から本格化し、室町時代中期にはほぼ全国に普及していた」という。し尿の農業利用は、日本では少なくとも500年以上、見方によっては1,000年近く続いてきた営みと言える。
しかし、この長い歴史はいったん途切れかける。転換点は1950年代。効率的に養分を供給でき、散布作業の負担も小さい化成肥料が普及したことで、し尿の肥料利用は急速に減少した。高度経済成長期に入ると下水道整備が全国で進み、排泄物は農地ではなく下水処理施設へと集約されるようになった。
その結果、新たな課題として浮上したのが「下水汚泥」の処理である。汚泥は大量に発生する一方、長らく埋立処分が中心であり、自治体にとって大きな負担となってきた。
こうした状況を背景に、1996年の下水道法改正では、再生利用等を行うことによる発生汚泥の減量化が努力義務となり、下水汚泥は単なる廃棄物ではなく、「借りた資源」として活用する方向へと舵が切られた。さらに2015年の法改正では、肥料等への再生利用についても努力義務として明記され、資源循環の位置づけが一段と強化された。
菌体りん酸肥料の公定規格ができた背景
国内の未利用資源を肥料に使いやすくする
主な化学肥料の原料である尿素(左)、りん安(りん酸アンモニウム:中央)、塩化加里(塩化カリウム:右)は、ほぼ全量を輸入に頼っているのが現状。農水省「肥料をめぐる情勢(令和8年1月)」より転載。
日本の農業は化成肥料への依存度が極めて高い。尿素(N)、りん安(P)、塩化加里(K)といった主要原料は、ほぼ全量を輸入に頼っている。特にりん安は特定国からの輸入が約73%を占めており(農林水産省「肥料をめぐる情勢」)、供給リスクの観点からも好ましい状態とは言えない。エネルギー価格の上昇や地政学リスク、円安の進行を受け、肥料原料価格は上昇基調にある。
こうした中で再評価されているのが下水汚泥だ。下水汚泥にはリンや窒素などの肥料成分が多く含まれており、特にリンについては、年間約230万トン発生する汚泥中に約5万トン含まれているとされる。これは日本の年間リン需要量(約30万トン)の約6分の1に相当する規模である。
現在、下水汚泥の肥料利用は主に二つの方法で行われている。一つは小規模自治体でも取り組みやすいコンポスト化、もう一つは一定規模を要するが高品質なリンを回収できるリン回収だ。日本全体では約1,000処理場が肥料利用に取り組んでいるものの、実際に肥料として活用されているのは汚泥発生量の約15%となっている。かつてし尿をフル活用していた日本にとって、下水汚泥の肥料利用はまだ道半ばと言える。
普及が進まなかった理由の一つが制度的制約だ。従来の汚泥肥料は他の肥料との混合が認められておらず、季節による成分ばらつきが課題だった。科学的な施肥設計を重視する生産者にとって、成分が安定しない肥料は使いにくい。また、重金属含有への懸念も根強く、安全性確保の取り組みが十分に認知されてこなかった。
菌体りん酸肥料とは
「汚泥資源を利用した肥料成分を保証可能な新たな公定規格」
農水省HP「肥料成分を保証可能な新たな公定規格(菌体りん酸肥料)の創設について」より転載
こうした課題を踏まえて2023年10月に創設されたのが「菌体りん酸肥料」の公定規格である。下水汚泥を原料とし、厳格な品質管理計画のもとでりん酸全量1%以上を含有する肥料を対象とした新たな規格だ。年4回以上の成分分析や原料管理が義務付けられ、肥料成分の安定性と安全性が担保される。
この規格により、下水汚泥由来肥料は登録肥料や指定混合肥料の原料として利用可能となり、他肥料との混合による施肥設計も可能になった。重金属については従来の汚泥肥料と同様に最大含有量が明確に定められ、流通後も立入検査が行われる。
菌体りん酸肥料の
現在と未来
農水省公開の資料(2026年2月現在)によると、下水汚泥を原料とする菌体りん酸肥料は、埼玉県下水道局 荒川水循環センターの「荒川クマムシくん1号」、名古屋市上下水道局の「循かん大なごん」、北九州市上下水道局・日鉄エンジニアリングの「OH!DAY!北九州」など全国で多数登録され、その一部は肥料の生産地域の農業現場で利用されている。
下水汚泥を原料に肥料を生産し、その肥料で育てた作物が地域で消費される――江戸時代にも見られた資源循環が、形を変えて再び動き始めている。
菌体りん酸肥料の意義を大きな言葉で表現すれば、国内未利用資源の活用による肥料自給率向上だ。一方、農業生産現場の立場からすれば、肥料の供給と価格の安定が実現する。さらに消費者にとっては、地域の肥料で地域の農家が育てた作物を食べる、という選択肢が広がる。
輸入肥料価格の高騰を追い風に、下水汚泥を資源として活かす流れは、今後さらに注目されて行くだろう。その中心的役割を、菌体りん酸肥料が担うはずだ。
DATA
・農水省「肥料成分を保証可能な新たな公定規格(菌体りん酸肥料)の創設について」
・環境省「パンフレット:江戸時代のし尿循環システム」
・農水省「肥料をめぐる情勢」
取材・文/川島礼二郎
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