2010年の「口蹄疫禍」を忘れない。 原因・初期対応は? 危機管理体制の見直しを
2020/05/22
2011年の福島原発事故は記憶に残っている人が多い。だが、前年の宮崎の口蹄疫は忘れられがちだ。農業に携わる者なら、この苦い経験を教訓として活かさなければいけない。現代農業の本質を、明治学院大学経済学部経済学科教授の神門善久氏が説くコラム。
口蹄疫禍と
福島原子力発電所事故
3月が近づくとマスコミはこぞって福島原子力発電所事故の回想特集を組む。他方、その前年の宮崎の口蹄疫禍は忘れられがちだ。口蹄疫は牛や豚などを襲う伝染力の強い病気で、長らく日本は口蹄疫の上陸を阻止してきた。
ところが、2010年の春から夏にかけて宮崎で爆発的に発生した。自衛隊をも動員し、交通規制や消毒が県内各地で行われた。予防措置として29万7808頭もの家畜を短期間で殺処分しなければならず、阿鼻地獄の様相を繰りひろげた。宮崎県民というだけで嫌がられるという非情な差別をも生んだ。
口蹄疫禍と福島原子力発電所事故には三つの共通点がある。第一は、原因が不明なことだ。口蹄疫ウイルスの侵入径路は特定できていないし、原子炉の破損が津波のせいなのかその前の揺れのせいなのかも判然としない。
第二は、初期対応の拙さだ。当時の県知事(東国原英夫氏)や首相(菅直人氏)が、マスコミ向けのパフォーマンスに執心して現場を混乱させ、傷口を広げた。
第三は、奇跡的な幸運のおかげで最悪のシナリオがかろうじて避けられたことだ。口蹄疫禍は宮崎の県境を越えて伝播していても不思議ではなかったし、そうなれば日本全体の畜産が瓦解していた。福島でも、原子炉への注水に失敗して核分裂が歯止めなく暴走し続ける可能性はじゅうぶんにあったし、そうなれば東京も強制退去になっていた。現場の努力・苦労には感謝と敬意にたえないが、天の助けがあったことも忘れてはならない。
口蹄疫禍では、防疫体制が万全のはずの公営農業施設(宮崎県の畜産試験場)の種牛も罹患し、優良な精子の供給源が途絶した。関係者の気のゆるみがあったのではないかと批判された。とくに、獣医はたくさんの畜舎をひんぱんに訪問するが、権威であるがゆえに決められたルールを無視するという慢心はなかったかと嫌疑の目が向けられた。
2018年に発生した豚熱(豚コレラ)でも、公営農業施設(岐阜県の畜産研究所)で罹患があった。宮崎での苦い経験が教訓としていかされなかったのだ。同じような大愚が放射能汚染の危機管理で繰り返されてほしくない。
PROFILE
明治学院大学 経済学部経済学科教授
神門善久
1962年島根県松江市生まれ。滋賀県立短期大学助手などを経て2006年より明治学院大学教授。著書に『日本農業への正しい絶望法』(新潮社、2012年)など。
AGRI JOURNAL vol.14(2020年冬号)より転載