ジャガイモ農家の執念! 「品種改良の夢」を追い続けた名門農家の足跡
2019/06/18
ジャガイモ栽培には病害や薬剤使用による食品不安などの問題が付きまとう。そんな中、見果てぬ夢を追い求めてジャガイモの品種改良に挑戦した農家がいた。現代農業の本質を、明治学院大学経済学部経済学科教授の神門善久氏が説くコラム。
ジャガイモ栽培は
病害防除が難しい
ジャガイモはいまや日本で日常的な食材だが、もともとは中南米の作物で、日本に本格的に導入されたのが明治維新ごろと意外にも歴史が浅い。北海道と九州が主産地だが、日本の風土に合いにくいことから、栽培農家は土壌細菌由来の病害に慢性的に悩んでいる。防除策として薬剤を使うが、これが環境破壊や食品不安を招いている。
夢を追い続けた
ジャガイモ農家
日本の風土にあった品種を開発し、安全・安心なジャガイモ栽培を広めたいという壮大な夢を追いながら、昨夏、孤独に死を迎えた農業者がいる。俵正彦さん。享年63歳。俵家は武家の流れをくむ長崎県島原半島の名門農家で、正彦さんは19代目だ。
正彦さんの父親は、いち早くジャガイモの需要拡大を予見し、島原半島にジャガイモ栽培を根づかせるきっかけを作る。長男の正彦さんは、小学生のときから、父親に代わって農作業に汗した。
俵正彦さんは地元の農業高校を卒業後、2年間の派米事業に参加し、先進的なジャガイモ栽培とそれを支える科学的思考を経験。帰国後、薬剤防除に頼らずとも病気になりにくいジャガイモの品種開発に挑み始めた。
俵正彦さんによると、ジャガイモのように外来の植物は、新たな環境に適用しようとして猛烈なスピードで突然変異をおこすという。俵さんはその中で、有用な形質のものを選抜しようとした。
圃場を注意深く観察し続け、タワラムラサキなど10品種を開発・登録に成功。日本全体のジャガイモ品種が100程度だが、それらのほとんどが公的機関で多大な費用と時間をかけて開発されたものだ。費用と時間が限られる一個人の俵正彦さんの成果は驚異的といえるだろう。
俵正彦さんの品種はいずれも斬新な色合いに特徴があり、食卓の消費者をひきつける。ただ、俵正彦さんが狙っていた耐病性の向上という点では、疑問符は残る。また、品種開発に熱を入れるあまり、種苗業者や行政と衝突なども多かった。俵正彦さんの足跡をどう評価するべきか、もう少し時間が必要かもしれない。
PROFILE
明治学院大学
経済学部経済学科教授
神門善久さん
1962年島根県松江市生まれ。滋賀県立短期大学助手などを経て2006年より明治学院大学教授。著書に『日本農業への正しい絶望法』(新潮社、2012年)など。