成功する農業後継「父から子へ、高い生産性を実現」
2018/06/21
後継者として先代の事業を受け継ぐだけでなく、新規事業や投資の決断を経て、菊ばり農園に変化をもたらした息子・幹大さん。この成功に至るまでの事業継承の秘訣はなんだったのか? 農家の事業承継のヒントが、きっと見つかる。
失敗を経て学び、
生産に集中することを決意
それまでの菊生産一本から、葬祭場へ花を届ける事業へ挑戦したことで、幹大さんは2つのことを学んだ。
1つ目は、「広い目で事業全体を俯瞰する重要性」だ。
今回は、フローリスト(花屋)の事業を理解しないまま、友人にまかせたきりで事業を始めてしまった。いざ葬祭の現場への花の納入を始めてみて、対応に窮することや想定外の事態が様々な点で起きてしまった。
知識不足は事業が始まってからではなかなか補完できなかった。事業を始める前に、もっと葬祭業の花に関するサービスの知識を収集していたら、結果は変わっていたかもしれない。
主体的に事業全体を見渡し、どこが事業の肝かを最初の段階で見極めながら進めていくことは、経営に置いて欠かせないことだと学んだ。
2つ目は、「事業を始める時期は、自分でじっくり判断したほうが良い」ということ。
今回は、地元のJAの葬祭事業が始まるタイミングに合わせ、無理をして参入した。そのため、自身の準備や状況に抜けがあるまま業務を始めてしまったのだ。開始時期は周辺環境に合わせるのではなく、自身で論理的に考え、あくまで自分のタイミングで始めるべきだと学んだ。
反省点もあるが、得たものも大きかった。この葬祭事業の経験を経て、今後当面は「生産一本で行く」と、経営方針を定めることができた。品質の良い菊を求める顧客のために、集中して生産に取り組むことこそが、今の自分にあっていることに気付くことができた。これは幹大さんにとって、大きな大きな収穫であった。
菊栽培技術の変化と
投資の決断
父・和雄さんの代に比べ、現在では菊の栽培技術が複雑になっている。
菊作りは、刺し芽で増殖する(親株から芽をとり、刺し芽を子株として大きく栽培する)。また、短日植物のため、強制的に真っ暗にしないと花が咲かない。昔はシェード設備(真っ暗にして花芽誘導する設備)がなかったので、夏の白菊の栽培はできず、夏場は単価の安い色モノの菊を栽培していた。
幹大さんが23歳のとき、実家で始めて、シェード設備と鉄骨ハウスを10a分建設した。この10aの建設費用は数千万円にのぼり、大きな投資ではあったが、通年栽培し生産性を上げるには、鉄骨ハウスとシェード設備の組合せは、必須になっていた(夏場も菊の花芽誘導ができるようになる)。
このような技術の進化もあって、数年間で1億円以上の設備投資を決断し、充実させてきた。この設備増強は①平成13年、②15年、③17年、④26年と、4段階にわたった。
白菊は年間で需要が安定しているため、通年栽培で大きなメリットを生み出し、生産においても、通年出荷による労働力分散・安定出荷で、効率を上げることができた。
事業規模と設備投資の方針で
父と対立
今から3年前、4回目となる設備増強の際、和雄さんは投資に否定的であった。「設備も事業規模も、これまでのもので十分」という考えからだ。この時手を入れようとしていた土地が傾斜地であったために、平地への造成が必要で、これまでの3回の設備投資よりも費用がかさむことが主な理由だった。
一方、幹大さんは、全面的に台風に耐えられるハウスに変更することが必要だと感じていた。近年の気候変動により台風のリスクが高まっているのではないか、という認識が芽生えていたのだ。
これまでの投資で、半分以上が鉄骨ハウスになっていたものの、農場にはまだパイプハウスが存在していた。パイプハウスだと台風が接近する度にフィルムをはがさねばならず、フィルムをはがせば雨が入り、次の栽培のための定植がすぐにはできなくなる。
そうなると、全体の栽培スケジュールが狂い、生産性の低下を招くことになるのだ。この4回目の投資をすれば、50a全部が鉄骨ハウスになり、すべてで通年栽培ができるようになる。「確実に生産性を向上できる」というのが、幹大さんの考えだった。
和雄さんの代のカーネーション栽培と比べると、(菊は年間で2.7~3.0作が可能なので)単純に考えれば生産性を3倍にまで上げることができる。なんとかそこまで達成したい、という信念が幹大さんにはあった。
和雄さんとは、当初意見が対立していたものの、根気強く話し合いを続けるうちに、和雄さんが幹大さんの考えを受容する結果に。幹大さんの日々の菊作りへの取り組みや、品質へのこだわりを、和雄さんが評価していたことが後押ししたのだった。