畜産にアニマルウェルフェアの意識を。人・環境・動物に“より良い”食べ物をつくる
2022/05/11
世界で進むアニマルウェルフェア(家畜が満たされて生きる状態)。関心は日本でも高まっており、認証制度も始まっている。今回は、アニマルウェルフェアとは一体何なのか、なぜ必要なのかについて専門家に聞いた。
アニマルウェルフェアとは
感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざす畜産のあり方。家畜の劣悪な飼育環境を改善させ、ウェルフェアを確立するために、5つの自由が定められている。
●空腹と渇きからの自由
●不快からの自由
●痛みや傷、病気からの自由
●正常な行動を発現する自由
●恐怖や苦悩からの自由
AWを可視化する認証制度
消費者の選択の幅が広がる
アニマルウェルフェアという言葉をご存知だろうか。欧米ではよく知られているが、日本では「家畜(動物)福祉」と訳される。乳牛などの家畜の快適性に配慮した飼育管理を目指す畜産のあり方である。一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会の代表を務める帯広畜産大准教授の瀬尾哲也さんにお話を聞いた。
「家畜はどうせ殺して食べるのだから、飼育環境などウェルフェア(満たされて生きる状態)にこだわる必要はないのではないか。そういう考え方もあります。また、アニマルウェルフェア(以下AW)は人間のエゴではないか。そんな意見もあります。
日本では動物愛護という考え方が浸透していますが、動物愛護は人が動物を可愛がる“情動”で、主語は人間です。私の専門分野は家畜行動学であり、この学問の究極の目的は、家畜の行動をじっくり観察することで、家畜の状態を推測し、動物がストレスや喜びをどのように感じているかを“科学的”にとらえます」。
AW普及のために研究者や酪農家が同協会を設立し、2016年夏から乳牛の認証制度を開始した。2022年からは肉牛への認証制度も始まった。
「卵は、消費者や流通業者が、農家に1円でも安いものを多く安定的に生産することを要求します。
一方のAWに配慮した卵は、大量生産は難しく、価格も高くなります。なので、毎日AW認証の卵を食べようとはせず、ときどき食べる、でも良いのではないでしょうか。例えば、子供の運動会の日は、AW認証の卵で卵焼きを作ってみる。あるいは、週末はAW認証の卵のオムレツを家族みんなで食べる。そこから始めるのでもいいと思っています。子供たち世代に家畜への理解を深める教育の機会が与えられますし、AWを可視化する認証制度によって認知度が向上し、消費者の商品選びの選択の幅が広がります。
AWに取り組むことで、結果的に家畜の病気が少なくなり、抗生物質の使用量が軽減されるため、品質の良い畜産物が流通し、私たちの暮らしを守ることにつながります」(瀬尾さん)
東京オリパラを機に
AW意識が高まる
「日本では近年、離農が進み、農家戸数は減少する一方で、作業の機械化、効率化により1戸の農家が飼育する家畜の頭数は増加しています。家畜の生育環境は適切でなくなり、牛の生産寿命は年々は短くなっています。消化器病や繁殖障害なども増加しています。だからといって、酪農家さんたちが悪いわけでは決してありません。生産量を増やすことを目標に、安い畜産物を求めた消費者である私たちの責任も大きいのです」(瀬尾さん)
アニマルウェルフェアに大きな注目が集まったきっかけは、東京2020オリンピック・パラリンピックだ。選手や関係者に提供される畜産物は、AWに配慮して生産されていることが条件とされ、競技大会組織委員会の食材調達コードに合格した畜産物でないと提供できなかった。
もう1つ、注目されたきっかけが農水相の政界汚職事件。吉川農林水産大臣が大臣在任中、AW国際基準に反対する大手鶏卵生産会社の元代表から賄賂を受け取ったとして、2021年1月、東京地検特捜部に収賄の罪で在宅起訴された。日本も加盟する国際獣疫事務局(OIE・本部パリ)は、家畜ごとにAWの国際基準を策定しているが、贈賄の目的はこの基準案への反対を日本政府に要請することだったと報道されている。東京2020オリパラとこの事件によって、日本の動物福祉の低さが露呈されることとなった。
進む欧米各国のAW認証
日本でも徐々に認知度UP
欧米ではAWが進んでいる。アメリカやカナダのホールフーズマーケットでは、肉製品にAWレベルが1から5まで表示されている。きっかけは、1964年イギリスでの、家畜が不適切な工業的環境で飼育されている現状が描かれたルース・ハリソン著『アニマル・マシーン』の出版だった。これを読んだ消費者がAWの取り組みを国や生産者に訴え、ヨーロッパ中に広まることにつながった。
その後、EUではAWの法制度の改正や認証制度が進み、一部の国では次のようなことが法律で禁止されている。
・放牧可能な季節に1日中つないだまま家畜を飼う
・鶏を金網でできた狭い積み重ねケージ(バタリーケージ)で飼う
・子牛や豚をつないで飼う
・小さすぎる囲いで飼う
卵のパッケージには番号が記載され、オーガニック、放し飼い、平飼い、ケージ飼いがひと目でわかる仕組みになっている。消費者は、どのAWレベルの卵を買うかを個人で選択・決定し、自らが望むライフスタイルを構築し、実現していく権利を有しているのだ。
山梨県では、20年に県や県畜産協会が中心となり県AW研究会が発足し、消費者らへの学習会を通じて理解の和が広まっている。同年10月には、県独自のAW認証制度創設も発表した。
日本からEUへ牛肉を輸出する際、AW対応が食肉処理施設の認定条件に含まれるため、海外向けの販売戦略ではAWは重要な要素となってきている。今、日本国内では、エシカル消費の普及もあり、AWへの関心が高まりを見せている。
人間も家畜も
同じ命ある生き物である
国は畜産クラスター事業をはじめ、大規模化の設備投資を促し、生乳の増産を進めてきた。ところが新型コロナウイルス禍の生乳生産の抑制などにより、真面目に規模拡大に取り組んできた酪農家が被害者となった。
「消費者の需要が優先されていますが、本来は、働く人、家畜、環境が優先されるべきです」(瀬尾さん)
農業の大規模化が進むと、1戸当たりの面積が増え、農村人口が減り、農村集落がさびれることになる。収益を増やすために乳牛の飼養頭数を増やすと仕事が増え、搾乳ロボットなどの機械に頼らざるを得なくなる。機械に頼りすぎると人の目が行き届かず、管理や世話が足りず、家畜の病気が増加し、乳量を増やすために穀物飼料を与えすぎることでえさ代が高くなり、病気のリスクが上がり、ふん尿処理の問題も出てくる。
酪農家が生活できる適正規模の維持が大切であるとともに、清潔な畜舎環境や新鮮な水・飼料の供給、輸送、と畜に至るまで、家畜に心を寄せ、できるだけ家畜にストレスを与えない飼育法=AWが、最終的には生産者も消費者もウェルビーイング(肉体的、精神的、社会的に良好な状態)になるのである。
「私たち人間も、あらゆる生き物も、同じ命ある生き物です。どうせ死んでしまうのは、家畜も人間も同じ。どうせ死ぬならどんな生き方や暮らしをしてもいいのか? 進む欧米各国のAW認証日本でも徐々に認知度UP人間も家畜も同じ命ある生き物である決してそんなことはありません」(瀬尾さん)
帯広畜産大学の研究によると、乳牛にネガティブな行動・声かけ(舌打ち、蹴る、叩くなど)をするより、ポジティブな行動(撫でる、触れる、あいさつなど)をしたほうが乳量がアップするという結果が出ている。実際、北海道大樹町で経産牛100頭、育成牛50頭を飼育する酪農家の板垣さんは、17年に協会の認証を農場、食品事業ともに取得し、認証取得後は経産牛1頭当たりの乳量は年間9tから9.8tに伸ばせた。
現在、全国で13の農場と6の食品事業所が同協会のAW認証を受けている。
「年に1、2回、審査員が農場を訪れ、乳牛の健康状態や飼育環境など45項目を審査します。牛の体は清潔か、傷がないかなど1頭1頭確認します。会員対象の農場見学なども行い、情報を発信してAWの普及に務めています」(瀬尾さん)
環境や社会に配慮して商品を選ぶ「エシカル消費」の広がりから、AWへの関心は今後ますます高まっていくだろう。
アニマルウェルフェア認証制度
2022年より始まった肉牛のアニマルウェルフェア認証制度。以下の評価法は一部抜粋。基準を満たした項目の割合が各ベース(動物・施設・管理)ともに 80%以上であることが認証基準となる。
教えてくれた人
一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会
代表理事
瀬尾 哲也
東北大学大学院農学研究科修了。博士(農学)。独立行政法人・北海道農業研究センター(北農研)勤務後、98年に帯広畜産大学畜産学部助手を経て、2018年から准教授に。一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会では代表理事の他、農場認証審査員を務める。
AGRI JOURNAL vol.23(2022年春号)より転載